東京地方裁判所八王子支部 昭和62年(ワ)564号 判決 1990年4月26日
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告森早苗に対して、三〇四六万円及び内金二八四六万円に対する昭和六一年一二月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告森雄介、同森良介、同森理惠及び同森伸介に対して、それぞれ七六一万五〇〇〇円及び内金七一一万五〇〇〇円に対する昭和六一年一二月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
訴外亡森進(以下「亡進」という。)は、昭和一〇年三月一〇日生まれで、昭和六一年一二月二五日死亡した。原告森早苗(以下「原告早苗」という。)は亡進の妻であり、原告森雄介(以下「原告雄介」という。)、同森良介(以下「原告良介」という。)、同森理惠(以下「原告理惠」という。)及び同森伸介(以下「原告伸介」という。)はいずれも亡進と原告早苗との間の子である。
被告後藤田圭博は、調布東山病院(以下「被告病院」という。)を開設して、同病院の院長を務めている医師である。
2 亡進の死亡に至る経緯
(一)亡進は、昭和六一年一一月二八日、飲酒中から吐き気を覚え、深夜、帰宅後、玄関先で嘔吐した。翌二九日、亡進はひどい頭痛を訴え、食欲もなく、翌三〇日も症状は改善せず、めまいのため便所に行くのも困難な状態であった。
亡進は、同年一一月三〇日及び一二月一日、自宅付近の内科医院で受診したが、血圧は正常であり、右の各症状の原因は不明であった。
(二) その後も頭痛、めまいの症状が消失しないため、亡進は同年一二月二日の夕方、被告病院に入院した。被告病院の医師は、検査の結果、脳波に異常がなく、脳に出血もないので、コンピューター断層撮影法(コンピューテッド・トモグラフィー。以下「CT」という。)による検査の必要はないと判断し、ストレスから来る症状であろうと診断した。
同月一一日、症状が幾分軽快したので、亡進は一時帰宅したが、翌一二日になって、後頭部首筋あたりを押えて、頭痛と吐き気を訴えるようになり、これについて被告病院の医師は、一時帰宅ではしゃぎ過ぎたことが原因であろうと考えていた。その後も亡進の頭痛は消失せず、同月一六日には頭痛とめまいのため便所にも行けない状態となり、同月一七日には便所に行こうとしてベッドから転落したりしたため、翌一八日にはベッドに手足を縛り付けられるに至った。このことについて、被告病院の看護婦は、亡進に導尿しようとしたところ、暴れたため縛ったと説明し、同病院の医師は、アルコールによる錯乱状態であり、精神科のある病院に転院してもらうことになると思うと述べた。
(三) 同月一九日午後七時二〇分頃、被告病院からの呼び出しを受け、原告早苗が同病院に行くと、被告は原告早苗に対して、午後四時頃から亡進の容態が急変し、午後六時過ぎ呼吸困難に陥ったので呼吸装置を付けた旨の説明をした。
そして、同日、亡進は救急車で都立府中病院に転院し、同病院でCT検査をしたところ、小脳に出血があることが判明したが、既に脳死の状態であったため、手術は不可能であり、同月二五日、死亡した。
3 被告の責任
(一) 亡進の死因
亡進は、昭和六一年一一月二八日、第一回目の小脳出血を起こし、そのため、頭痛、めまい、吐き気等の症状が発生したが、その際の出血は少量で延髄、橋部に近くなかったため、生命に別条はなかった。しかし、引き続き同年一二月一二日に第二回目の小脳出血を起こし、少なくとも被告病院を退院するまでこれが続いており、これが延髄、橋部にまで及んだため、死亡したものである。
(二) 過失
(1) 一般に、頭痛及びめまい、吐き気を訴える患者については、脳内出血等の頭蓋内圧亢進を疑い、体温血圧、左右頸動脈拍動、血管性雑音の有無等を測定するとともに、乳頭浮腫の有無の検査、頭部単純X線撮影、CT検査による脳の断層写真撮影を行うべきである。
亡進は、入院時に起立歩行が不可能で、車椅子で入院しており、被告病院に入院後一二月六日までの間、頑固な頭痛とめまい、吐き気を訴えていたのであるから、医師としては遅くとも一二月六日頃までには小脳出血の有無を疑い、CT検査を行うべきであった。
しかし、被告及び被告病院の医師たちは、亡進の前記各症状がストレスによるものと即断して、基礎的検査やCT検査を怠り、亡進に生じていた脳内出血を看過し、その後も右各症状が消失しなかったのに、脳内出血を疑うことなく、CT検査、眼底検査、眼圧検査、眼底血圧検査等の基礎的な脳疾患の検査も行わず、専ら精神科的な治療に終始していたものである。
(2) 仮に入院後速やかにCT検査を行う必要がなかったとしても、亡進の症状は一旦軽快した後一二月一二日以降強度の頭痛が続き、吐き気を訴え、同月一八日には症状の進行により病室を変更せざるを得ないほどの状況になっていたのであるから、医師としては小脳出血を疑い、緊急にCT検査を行うべきであったのにこれを怠ったため、翌一九日午後容体が急変し、重篤となり、血腫除去手術が不可能になったものである。
(3) 被告病院の人的物的施設は、CT検査を行う設備もなく、小脳出血の場合の救命手術を行いうるほど整っていなかった上、被告は、一二月一八日の時点では、亡進の症状の悪化に対して確定診断を下せなかったのであるから、右時点で、小脳出血であった場合を考慮して、緊急の場合に開頭手術を行いうる医療施設に転院させるべきであった。しかるに被告及び被告病院の医師らは、これを怠ったため、翌一九日午後に亡進の容体が急変した際、血腫除去手術を施行して生命を維持することが不可能となったものである。
(三) 因果関係
第一回目の出血後間もない時期にCT検査が行われていれば、亡進に生じていた小脳出血を確認することができ、それに対する適切な措置、即ち右の血腫の除去手術、或いは、保存療法により再出血の危険を大幅に低下させる措置を執ることができた。その上で、脳血管撮影等による出血原因の検査を施行すれば、亡進の小脳出血の原因と考えられる動静脈奇形(アルテリオヴィーナス・マルフォーメイション。動脈と静脈が毛細血管ではなく他の異常な血管により接続していること。以下「AVM」という。)を発見することができたはずであり、その除去手術を行えば再出血はあり得なかった。また、一二月一二日以降一二月一八日までの間に、CT検査が行われていれば、亡進に生じていた小脳出血を確認することができ、右に対する最も適切な措置である血腫除去手術を行うことができたから、死の結果を回避することができた。また、一二月一八日に亡進を専門的医療機関に転院させていれば、亡進について、一二月一九日午後容体が急変した際、直ちに救命措置をとることができたから、亡進の死亡を避けることができたものである。
4 損害
(一) 逸失利益 三六四七万円
亡進は、昭和六一年一二月当時、五一歳の健康な男子で、昭和四一年一月株式会社アーク化成を設立して、その代表取締役であった者であり、本件の脳内出血で死亡することがなければ、六七歳まで就労可能であった。亡進の昭和六〇年度の収入は四五六万円であったが、昭和六一年当時は五一歳の男子の平均給与月額である四〇万〇六〇〇円を越える収入を得ていたものであり、生活費割合を三割とし、五一歳から六七歳までの逸失利益をライプニッツ方式により中間利息を控除して計算すると、以下のとおりである。
四〇万〇六〇〇円×〇・七×一二×一〇・八三八=三六四七万〇三〇三円≒三六四七万円
亡進の相続人は妻である原告早苗、子である原告雄介、同良介、同理惠及び同伸介であるところ、亡進の死亡により原告らは、右逸失利益についての損害賠償請求権の、原告早苗は二分の一、同雄介、同良介、同理惠及び同伸介はそれぞれ八分の一を相続により取得した。
(二) 慰謝料
亡進が本件の脳内出血により死亡したことにより、原告らは夫、父親を失ったものであって、原告らが被った精神的損害を慰謝するには、原告早苗については一〇〇〇万円、他の原告についてはそれぞれ二五〇万円の支払いをもってするのが相当である。
(三) 葬儀費用
亡進の葬儀費用として四五万円を要したところ、原告早苗が二二万五〇〇〇円を、その他の原告らはそれぞれ五万六二五〇円宛を負担した。
(四) 弁護士費用
原告らは、本件訴訟の提起を弁護士に依頼し、その報酬として、原告早苗が二〇〇万円を、その他の原告がそれぞれ五〇万円を支払うことを合意した。
5 よって、原告らは、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告早苗に三〇四六万円及び内二八四六万円に対する亡進の死亡の日である昭和六一年一二月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告雄介、同良介、同理惠及び同伸介に、それぞれ七六一万五〇〇〇円及び内七一一万五〇〇〇円に対する前同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1記載の事実は認める。
2 同2(一)記載の事実は知らない。
同(二)記載の事実のうち、昭和六一年一二月二日、亡進が頭痛とめまいを訴えて被告病院に入院したこと(なお時刻は午後八時五〇分であった。)、検査の結果、脳波に異常がなく、脳に出血もないと判断したこと、その後、亡進の症状が軽快し、同月一一日一時帰宅したこと、翌一二日頭痛と吐き気の訴えがあったこと、同月一七日、ベッドから転落したこと、翌一八日八字帯で両上肢を抑制したことの各事実は認め、その余の事実は否認または知らない。
同(三)前段記載の事実及び後段記載の事実のうち、亡進が都立府中病院に転院し、同病院でCT検査をしたところ、小脳に出血があることが判明したこと、同月二五日死亡したことは認め、その余の事実は知らない。
3 請求原因3(一)記載の事実のうち、亡進に、一二月一二日、第二回目の出血が生じたことは否認し、その余の事実は知らない。亡進のように延髄及び橋部近くの部位に出血した場合、短時間のうちに意識障害・呼吸障害等の重篤な症状が出現するのが一般的であるから、亡進に第二回目の出血が生じたのは一二月一九日午後と考えられる。
同(二)記載の主張は争う。
被告病院においては、亡進の症状の原因として、二日酔の脱水症、脳出血、アルコール中毒症、偏頭痛、椎骨脳底動脈循環不全、筋緊張性頭痛、肝性脳症、精神病(心因性)を考えて、その鑑別のため、CT検査を除く基礎的な検査は尽くしており、眼底検査を行った結果乳頭浮腫のないことを確認している。神経内科専門医による神経学的検査、脳波検査の結果、亡進の症状を脳内の特定部位と結び付けられる所見はなかったし、また、頭痛、めまい、吐き気は脳内出血に固有の症状ではなく、これらの症状があれば一刻を争い、直ちにCT検査をしなければならないというものではない。被告病院においては、CT検査は杏林大学放射線科に依頼して行っているが、緊急を要する患者を除けば通常二〇日間の予約期間後に検査の予定が入るところ、この程度の予約期間を要することは一般的である。右にいう緊急を要する場合とは、症状、神経学的所見、眼底所見、脳波所見などから頭蓋内に限局した病巣が強く疑われる場合と症状からクモ膜下出血が疑われる場合であり、亡進については、昭和六一年一二月一九日に延髄付近の病変と思われる症状が出現するまで、緊急にCT検査を行う必要はなく、被告病院としては入院後間もなく一般予約をしてCT検査の依頼をしてあり、同月二三日にはCT検査が実施されることになっていたものである。また、同日まで、亡進について開頭手術を必要とするような状況にはなかったから、転院の必要性はなかった。
同(三)記載の事実のうち、亡進の第一回目の出血をCT検査により発見し得たことは否認する。CT検査をしなかったことと亡進の死亡との間には因果関係はない。亡進に生じた第一回目の出血は小さなものであり、この出血の部位、大きさ、原因を正確に把握し、第二回目の出血を予見・防止することは医学的に不可能であるし、仮に第一回目の出血を把握し得たとしても、亡進は血腫除去手術の適応にはなく、AVMについても、再出血防止のためその除去手術をすべき必要性はない。AVMの破裂による出血は、いかなる検査を行っても予見することはできないし、延髄及び橋部付近における出血は呼吸中枢である脳幹部を直撃圧迫して、不可逆的ダメージを与えるため、右のダメージを回復させる医学的処置はない。府中病院において、開頭手術ができなかったのは、亡進に生じていた出血の部位によるものであって、CT検査の遅れによるものではない。
4 請求原因4記載の事実は知らない。
第三 証拠関係<省略>
理由
一 当事者
請求原因一記載の事実は当事者間に争いがない。
二 亡進の死亡に至る経緯
亡進が昭和六一年一二月二日被告病院に入院し、その後症状が軽快して、同月一一日には一時帰宅したこと、翌一二日頭痛と吐き気の訴えがあり、同月一九日亡進の容体が急変し、都立府中病院に転院したこと、同病院で行ったCT検査の結果、小脳に出血があることが判明したこと、亡進が同月二五日死亡したことの各事実は当事者間に争いがない。
<証拠>によると以下の事実が認められる。
1 亡進は、昭和六一年一一月二八日の直前一週間程度継続して飲酒し、同月二八日も夕刻から吐き気があったにも拘らず、仕事上の付き合いで飲酒したが、その際、気分が悪くなって、翌二九日午前〇時三〇分頃、タクシーで帰宅した。帰宅直後、亡進は自宅玄関で嘔吐し、頭痛、吐き気、めまいを訴えた。同日、亡進は頭痛と吐き気を訴え、食欲もなく、翌三〇日になっても、亡進の症状が改善しなかったため、付近の内科医に往診を依頼し、診察を受けて、投薬を受けたが、症状は改善しなかった。
2 一二月二日午後八時五〇分、亡進の症状は依然として改善しなかったため、原告早苗は亡進を車で被告病院に連れて行き、同病院で診察を受けたが、亡進は歩行が困難であったため、被告病院においては車椅子で移動した。亡進は、被告病院の当直医師に対して、頭部右側に偏頭痛があり、めまい、吐き気が昨日から強くなってきたと訴えた。亡進を診察した医師が検査したところ、瞳孔及び神経反射に異常はなく、項部硬直、四肢の麻痺、バビンスキー反射も見られなかったが、単なる頭痛にしては症状が重いことから亡進の症状の原因について、小脳出血と偏頭痛の可能性を考え、従来の症状が続くようであれば、CT検査の必要があると診断した。同日は、頭痛とめまいの対症療法としてセデスとアクチット、メイロンを投与した。
翌三日、亡進には項部硬直、四肢の痙攣や硬直はなかったが、頭部の右半分に痺れ感があり、排尿が少なく脱水症状が強く見られたので、被告病院の医師はまずこれを改善することとし、脳波の測定、眼底カメラ、腹部レントゲン撮影、血液及び尿検査を実施した。
一二月四日、被告病院において、神経内科の専門医である溝渕医師が亡進を診察し、眼底検査等の検査をしたところ、乳頭浮腫はなく、眼振もなく、脳神経に異常は認められなかった。また、上下肢も正常であり、小脳の病変を原因とする症状もなかったが、脳波に時にθ波の混入が見られたため、症状安定後、脳波を再度測定し、頸椎のレントゲン撮影をすることとし、脳波が正常に戻ればCT検査の必要はない旨診断した。
また、同日、内科の吉川医師も亡進を診察したが、肝機能等に異常はないこと等から、めまいの原因をアルコールと考えるのは困難であると診断し、メニエール病を疑って耳鼻科的な検査の必要があると考えた。これらの診断を受けて、同日被告病院の医師らは亡進の症状の原因について検討したが、これを確定することはできなかった。
3 翌五日、亡進の症状はかなり改善し、便所に行く際も自力で歩行できるようになり、頭痛も軽くなって、食欲も出てきたため、それまで被告病院では点滴のみで栄養を補っていたが、食事を摂取することができるようになった。同月七日頃から、めまい、吐き気がなくなり、面会人に「今日は快調だ。」と話し、八日頃からは頭痛もなくなった。
一二月八日、亡進は、病院では排便しにくいと考え、無断で病院を抜け出して自宅に戻り、三〇分程度で病院に戻った。
翌九日、被告は、亡進の頭部のCT検査を杏林大学に依頼したところ、翌年一月七日午前一一時に右検査を行うことになった。また、同日、血液検査及び超音波検査の結果が判明し、亡進がB型肝炎ウイルスの保菌者であること及び胆のうにポリープがあることがそれぞれ判明した。
一二月一一日、亡進は、被告病院の医師の許可を得て一時帰宅し、得意先に架電するなどした後、四時間程度で再び病院に戻った。同日、溝渕医師は再度、亡進を診察し、八日に行った脳波検査では、亡進の脳波が正常の範囲内にあり、神経学的な検査の結果も特に異常はないこと、レントゲン撮影の結果、頸椎に変化が見られ、これが頭痛、吐き気等の原因であると断定はできないものの、その可能性もあることなどを総合考慮し、肝機能等の状況が良ければ退院してもよいと診断した。
4 一二月一二日、亡進は、頭痛、吐き気とめまいを訴え、胆汁様の嘔吐を数回した。同月一三日、亡進の吐き気とめまいは消失したが、頭痛が持続し、氷枕を使用するようになり、同月一四日には、食事もほとんど摂取せず、寝返りをうった際、ベッドからずり落ちた。同月一五日、亡進に吐き気はなかったが、頭痛とめまいを訴え、めまいのため歩行ができなくなったので、被告病院ではベッド上で排尿させることにした。同月一六日も亡進は頭痛を訴え、ボルタレン及びセルシンの投与により夕方には改善を見た。同月一七日亡進はベッドから枕ごと転落したが打撲はなく、「戦争の夢を見ていた。」といい、支離滅裂な言動をするようになった。同日、亡進は頭痛を訴えたが、吐き気や嘔吐はなかった。同月一八日には、亡進がベッドから床に排尿するなど言動の異常が見られたため、看護婦が観察しやすい病室に亡進を移したが、亡進が膀胱に挿入したカテーテルを自分で抜去するなどしたため、同日午後七時三〇分頃から、亡進の上肢を八字帯でベッドに拘束するようになった。同日、溝淵医師は亡進を診察したところ、神経学的に特に問題となる所見はなかったため、被告及び被告病院の医師は亡進の症状については心因性の精神症状か、アルコール中毒の禁断症状ではないかと考え、CT検査後、特に異常が認められなければ精神科の治療を受けた方が良いと考えるに至った。早期にCT検査を行って、治療方針を決定した方が良いと思われたことから、既に期日が決まっていたCT検査に予定を繰り上げてもらうよう杏林大学と交渉し、一二月二三日に、CT検査をすることになった。
5 亡進は同日夜半から翌一九日にかけて、興奮してなかなか眠られず、同日午前九時三〇分頃には、目の焦点が合わず、発語があってもその意味は不明瞭であった。午後二時頃から亡進に声をかけても反応が鈍くなったため、被告病院の医師らは午後四時頃採血して検査し、酸素濃度が下がっていたことから、酸素吸入を始め、気道を確保した。午後四時四〇分頃、静脈を確保することと、水分を補給するために電解質の点滴が行われた。被告は午後五時過ぎに亡進を診察したところ、意識の低下、呼吸及び循環不全が見られたので亡進に脳内の疾患が発生したことを疑い、午後六時頃、都立府中病院に連絡し、緊急にCT検査の必要があり、手術を要する可能性のある患者であることを告げて転院の承諾を得た。なお、午後六時九分、心電図上期外収縮の頻発が見られ、医師らは午後六時一〇分、亡進に気管挿管を行い、午後七時〇七分、昇圧剤イノバンを投与した。被告は原告早苗の到着をまって、亡進を救急車で搬送し、同日午後八時一九分都立府中病院に到着した。その当時、亡進は昏睡状態で、対光反射もなく、瞳孔も散大しており、呼吸も停止し、人工呼吸器を装着している状態であった。CT検査の結果、亡進に小脳出血のあることが確認され、技術的には血腫除去の手術は可能であったが、亡進の右の状態からして右手術を行っても救命の可能性はなかった。
三 亡進の死因
<証拠>によると以下の事実が認められる。
亡進の死亡後、都立府中病院で病理解剖が行われ、その結果、亡進には小脳虫部から小脳左葉にかけて直径三ミリメートル程度(血管の集合部の合計)のAVMがあった。右AVMは、脳幹との関係では第四脳室の左寄り下側から小脳内に至る延髄に近い部分にあり、これが破裂したことにより、小脳出血が生じたものと考えられた。
亡進は同一部位から二度にわたり出血していたが、臨床症状と解剖時の状況(殊に赤血球の状況)とを考慮すると、第一回目の出血は昭和六一年一一月二八日頃であり、第二回目の出血は同年一二月一九日午後二時以降で、同日午後六時頃にはその出血が延髄に及んだものと推定された。第二回目の出血の大きさは一八ミリメートル×一一ミリメートル×一五ミリメートルで、血腫の大きさはその一・五倍程度であったものと考えられ、小脳半球の中で脳幹部に面した部分にも出血があり、その範囲は左小脳半球及び延髄に及んでおり、そのため、呼吸中枢が侵されて死亡に至ったものである。第一回目の出血の大きさは六ミリメートル×四ミリメートル×五ミリメートルの限度で確認できたが、新しい出血巣内に古い出血部が含まれる可能性があるものの、剖検時の所見から第二回目の出血の大きさの半分以下と推定された。
なお、前記の認定事実によると、亡進は一二月一二日から、再び症状が悪化し始めており、このころに第二回目の出血が生じたものと原告らは主張しており、証人中山高志もこれに沿う証言をしているが、亡進の第二回目の出血は延髄、橋部にまで及ぶものであり、<証拠>によれば、このような部位の小脳出血ではその直後から何らかの神経症状が発生するのが一般的であると認められ、一二月一八日には何らの神経症状も見られなかったこと、中山は内科の医師であって、脳外科または神経内科の専門医でないこと等の事情を考慮して、右中山証言は採用せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
四 被告の責任
1 まず、原告らは、被告が遅くとも昭和六一年一二月六日頃までに、亡進についてCT検査を行うべきであったと主張するので、以下に検討する。
(一) CT検査の運用について、<証拠>によると、以下の事実が認められる。
CTスキャナーは、昭和六一年当時、東京都三多摩地区にこれを備えている病院は数え上げ得る程度に少なく、これを備えていない大多数の病院・医院は、備えている病院に依頼して検査をしてもらうことになるが、依頼してから実際の検査まで二ないし三週間を要するのが通常であった。しかし、当該患者の治療方針を決定することが緊急に必要であり、そのためにCT検査が必要である場合、例えば、頭痛がかなり強く、くも膜下出血や脳腫瘍が強く疑われる等の緊急性が高い場合には、通常の順序によらず、既に予約している患者を差し置いて即日検査することを依頼し、依頼を受けた病院においてもその緊急性について検討して、この申し出に応じ、即日に検査を行うのが一般であった。
(二) そこで、本件について見るに、前記認定によると、亡進は昭和六一年一一月二八日以降頭痛、吐き気及びめまいを訴えており、一二月二日、被告病院に入院した後も同様の症状を訴えていた。
<証拠>によると、これらの症状を呈する疾患は、小脳出血、メニエール病、偏頭痛、筋緊張性頭痛、アルコール中毒等数多くあり、その鑑別を行うことが必要となることが認められるところ、被告病院においては、亡進に生じていた症状の原因を鑑別するため、亡進について、神経内科及び内科の医師の診断を仰ぎ、脳波等の検査をしていたが、亡進が被告病院に入院した当時、既に第一回目の出血を生じていたと考えられるのに、小脳出血に起因する神経症状は全く認められなかったことは前記認定のとおりである。なお、亡進は被告病院への入院時歩行が困難であったが、<証拠>によると、その原因は小脳に障害があったためではなく、めまいや吐き気が強かったためであることが認められ、右の事実をもって亡進に神経症状があったとは言えない。
亡進は頭痛、吐き気及びめまいを訴え、その症状は被告病院への入院前の四日間続いており、入院後もこれが消失せず、これに対して、その原因を確定することはできなかったのであるから、被告としてはその原因の確定のためCT検査をできるだけ早期に行うことが望ましいことは言うまでもない。
しかし、<証拠>によると、くも膜下出血の場合には、突然の激しい頭痛が起き、その唐突さは発生の時点が特定できるほどのものであるのが通例であるのに、亡進に生じた頭痛は発生時刻を特定できるほど唐突な激しいものではなかったと認められる。また、亡進の症状が次第に回復している状況にあったことは前記認定のとおりであり、さらに、小脳出血を窺わせる神経症状が全く見られなかったのであるから、一二月六日までの間の亡進の症状が、緊急にCT検査を行う必要のあるものであったとまでは認めることはできない。
(三) 次に、仮に一二月六日までの時点において、亡進に対してCT検査を行った場合、どのような治療が行われたかについて検討する。
(1) <証拠>によると以下の事実が認められる。
CTの画像は、コンピューターにより作成された画像であるから、骨に囲まれた小脳や脊髄等の部位については解像度が悪く、出血があった場合でも、その発見は他の部位に比べ困難である。頭部のCT検査は、一定の間隔で頭部の横断面を撮影して行い、その間隔を二ミリメートルまで狭めることが可能であるが、その場合には画像が粗くなるので、特殊な場合以外は行わない。出血を伴わないAVMについて、単純CT検査で発見するのはほぼ不可能であり、造影剤を注入して撮影する脳血管撮影を行うと判明することが多いが、後頭蓋下等の条件の悪い部位にあるAVMについて発見が困難である。脳のAVMの発見される契機としては、脳内の出血、てんかんの発作、神経症状の出現が挙げられる。小脳出血がCT検査により発見された場合、CT検査のみではその原因まで特定することができないことが多い。患者の年齢や出血の部位、それまでの経過等からAVMの存在が疑われる場合には、脳血管撮影を行ってこれを確認することになる。出血を契機として発見されたAVMについて、AVMの再出血の確率は、出血後一年以内では六パーセント、その後は二〇年間にわたり年間二パーセント程度と言われているが、再出血を完全に防止するためにはこれを摘出するしかなく、摘出しない場合は、保存的治療として血圧を制御するなど一般的な全身状態の管理を行うことにより再出血の危険性を少なくする。AVMの摘出手術をするか否かは、そのある部位、大きさ及び患者の年齢などの条件を考慮して決める。AVMが延髄や脳幹部にかかっているような場合には摘出手術による後遺症の発生する可能性が高いため手術しないのが通常であるのに対し、AVMのある部位が手術の容易な部位であり、手術による危険が僅少な場合には患者の年齢を問わず摘出手術を行うことが多い。年齢については高齢者になる程手術後に後遺症の発生する可能性が大きく、前記の再出血の確率からみて若年者ほど再出血の機会が多いことから、若年者は手術の必要性が高い場合が多い。出血を繰り返しているという事情のある場合にはこれを防止するため手術の必要性がある。
また、出血による血腫が脳を圧迫する等の理由により、生命に対する侵害が考えられる場合には、まず緊急に血腫を除去するための手術を行い、その際、簡単にAVMを摘出できる状態であれば、同時に摘出手術を行うが、一般には出血からできるだけ時間を置いて、脳の状態が良くなるのを待つほうがAVMの除去手術は行い易いので、患者の意識レベルの改善を待ち、患者の状態が許せば二ないし三週間おいてから除去手術を行うのが通常である。
(2) 亡進に対して、一二月六日までの間にCT検査を行っていたと仮定すると、亡進の第一回目の出血の大きさは、前記のとおり、第二回目の出血のそれの半分以下であったと推定されること、小脳付近についてはCTの解像度が悪いことなどを考慮すると、第一回目の出血をCT検査によって発見し得たかは疑問である。また、仮に発見し得た場合であっても、亡進の症状は次第に改善してきていたことは前記認定のとおりであるから、血腫の除去手術の必要はなかったというべきであり、従って、CT検査を行っていたとしても保存的治療を行うことになったであろうと推認できる。
さらに、亡進のAVMは後頭蓋下にあり、大きさも直径三ミリメートル程度であることは前記認定のとおりであるところ、<証拠>によると、このようなAVMは一般に脳血管撮影によっても発見することは困難であることが認められる。従って、仮に小脳出血が発見されたとしても、その原因たるAVMが発見された可能性はきわめて少なく、仮にAVMが発見されたとしても、亡進が出血を一度しか経験しておらず、年齢が五〇歳以上であることや症状が改善していることなどを考慮すると、亡進について少なくとも緊急にAVMの摘出手術を行う必要性はなかったものと認めるのが相当である。
(3) 以上のとおりであるから、亡進について、一二月六日までにCT検査が行われ、仮に小脳出血が発見され、更にAVMも発見されていたとしても、被告の治療と特段異なる治療をしたであろうとは考えられない。従って、CT検査を行わなかったことと亡進の死亡との間に法的因果関係は認められない。
2 次に原告らは、被告が、亡進について一二月一八日までにCT検査をすべきであったと主張するので、検討する。
(一) 前記認定のとおり、亡進の症状は一二月一二日以降再び悪化し、同月一七日からは異常な言動が見られたが、神経症状は全くない状態であり、被告は各種の検査をしたにも拘わらず、右症状の原因について診断がつかなかったため、CT検査を行って異常が認められなければ、精神科の治療の要があると考えて、同月二三日にCT検査を行うよう手配したというのである。
入院後、二週間経過しても亡進の症状の原因を確定することができず、そればかりか一旦改善した症状の悪化を見ているのであるから、その時点では治療方針を決定するために、さらにその原因を追及する必要があり、未施行の検査であるCT検査の必要性がいずれあったものと言うべきであるが、一二月一九日午後までに亡進には何らの神経症状も認められず、小脳出血を疑わせる特異な症状はなかったのであるから、前記のようなCT検査の運用がなされていることを前提とすれば、緊急にCT検査を行うべき場合には該当しないものと認められる。そして、被告病院では亡進について一二月二三日にCT検査を行う予定であったのであるから、亡進の治療において欠けるところはなかったものと言うべきである。
(二) また、亡進に第二回目の出血が生じたのは一二月一九日午後二時以降であることは前記認定のとおりであり、結果的に見れば、一二月一二日以降の症状の悪化は第二回目の出血以外の何らか別の原因によるものであるが、それが第一回目の小脳出血による症状であったのか、あるいは出血以外のいかなる原因によるものであったのかを確定できる資料はない。従って、仮に一二月一八日までに亡進に対してCT検査が行われていたとしても、第一回目の出血及びAVMの発見が困難であったこと、亡進の症状が緊急に血腫を除去しなければならない状態でもなく、AVMについて直ちに摘出手術をしなければならない状態でもなかったことは、いずれも従前の場合と同様である。
従って、一二月一八日までにCT検査をしなかったことと亡進の死亡との間に法的因果関係はないものと言うべきである。
3 原告らは、被告が、亡進について一二月一八日までに開頭手術等が可能な病院に転送すべきであったと主張している。
しかし、前記のとおり、一二月一八日までに亡進に生じていた症状の原因は不明ではあったが、緊急に手術等何らかの措置を必要とする状況にあったとは認められない。また、亡進に第二回目の出血が起きたのが一二月一九日午後二時以降であったのであるから、一二月一八日の時点で新たな小脳出血の存在を前提として、他の開頭手術の可能な病院に転送すべき義務をいう原告の主張は前提を欠いているものである。
なお、前記認定によると、亡進は一二月一九日午後二時頃、呼び掛けに対する反応が鈍くなり、午後四時には呼吸抑制の状態が見られ、急速に状態が悪化したのであるから、その時点では脳内に何等かの異変の起きたことが推測でき、この時点で開頭手術の可能な他の病院に転送することが考えられなくもないが、<証拠>によると、亡進に生じた第二回目の出血について、一二月一九日午後六時の呼吸不全時に転送先の病院に到着していた場合、午後六時には対光反射があったので、この時点で呼吸管理ができ、心臓の状態が回復すれば血腫の除去手術は可能であったが、実際に手術するためには循環系の管理が必要であり、手術の準備に要する時間を考慮すると、血腫の除去手術は不可能であったことが認められ、転送に要する時間や転送に必要な処置を考慮すると、前記の時点で転送したとしても亡進の死亡を防ぐことはできなかったものと認められる。
五 結論
以上のとおり亡進の治療において被告及びその被用者に過失があったことを認めることはできない。従って、その余の争点について判断するまでもなく、原告らの各請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 太田幸夫 裁判官 稲葉耶季 裁判官 石栗正子)